ラカン-純粋倫理 17ケ条

はがきサイズ 18枚

川崎市倫理法人会 早朝セミナー2009/09/09 06:30-07:20 川崎市中原区

「平面絵画 きりえの用途」 講話要約

o 200999 川崎市中原区。建設会社会議室。

o倫理法人会早朝セミナー講話 挨拶とお礼

o実業家会員の方に向けた「きりえの用途」講演項目説明

o講師 / 講話要約 藤田正俊

o参照ホームページ「ひげふじのきりえアート」

http://menbers2.jcom.home.ne.jp/higefuji/

01 NHK きりえ制作放映画像 CD−R画像をスクリーンに投影。

NHK「いっと6けん」『川崎の魅力を切り絵で表現』2009/12/02-1100コーナーで6分間放映された記録のCD−R画像を、パソコン・プロジェクター・スクリーンに投影。

http://higefuji.web.fc2.cim/2008nhk.htm

200710川崎市市民ミュージアムの有料貸ギャラリーで「きりえ作品個展」を開いた。

http://members2.jcom.home.ne.jp/higefuji/2007koten.htm

この個展をミニコミ誌や川崎市広報で知ったNHK横浜放送局から取材のメールがきた。

2008/11/26。朝10時に待ち合わせ、二ケ領用水円筒分水場。新百合ヶ丘駅東前広場。白鳥神社と現地取材したあと、スタッフは来宅してきりえ制作を夜8時過ぎまで撮影していった。 6分間と短い映像で、きりえ制作の方法と、作品にする手順などが、要領よくまとめられて、さすがNHKの編集と感心した。

02 「切り絵」新しい平面絵画

「きりえ」は紙を切り貼りして制作する、印刷版下向きになる平面絵画です。

江戸時代の浮世絵は、版元・絵師・彫師・摺師の分業で、風景画・役者絵などを商品にした絵画で、彫師・摺師の仕事は、現在の写真製版・機械印刷です。

朝日新聞の日曜版に滝平二郎氏が、茨城の田舎の思い出を木版画で掲載始めたとき、版木を彫り、版を重ねて色数だけ刷り上げる作業だけで56日かかり、とても毎週制作することが難しくなり早く作品を仕上げるため、黒い紙を切り抜きライトボックスに載せた上に、紙を敷きカラーインクで彩色した一枚を新聞社に渡せば、印刷輪転機は時間当たり10万枚から100万枚近く摺ってしまう。この必要に迫られて開発した新しい技法を滝平氏は「切り絵」と造語された。

このことから、時代に合った作品制作方法があってしかるべきだと、わたしもおもい「きりえ」制作をしている。

わたしは用途によって紙質を使い分けている。印刷版下の場合は、兼価で色数もあり、ある程度の硬さがあり切りやすく糊付けしやすい、制作に扱い易い西洋紙を使い、額装して

飾る作品には和紙を使い、質感・テクスチャーを大事にしている。

03 川崎市内風景画 印刷版下用きりえ

「クオータリーかわさき」1996年#474849 1997年#5051

「かわさき私景」制作の始まりは、川崎市発行の「クオータリーかわさき」に掲載する市内風景の絵画の依頼があって始めたもので、5点掲載して依頼は終えたが、このシリーズの制作は興味を深めて1996年から1997年までに263点を制作して、川崎市市民ミュージアムでこれらのきりえ個展をおこなった。

「クオータリーかわさき」での「かわさき私景」印刷では、きりえ原画を印刷工房に持ち込み、写真撮影・製版印刷された。

http://kawasaki-0/ かわさき私景 全数一覧 263

http://kawasaki-0m/ かわさき私景の制作メモ

これらの冊誌は、川崎市内各区の図書館に蔵書されています。

04 「グラフかわさき ひろば」掲載画像のメール送信

「グラフかわさき ひろば」vol66/20083月発行

http://members2.jcom.home.ne.jp/higefuji/66-hiroba.htm

川崎市市民ミュージアムできりえ個展した翌年。2007年活躍した芸術家とスポーツマン特集の「グラフかわさき ひろば」編集局から掲載の話があり、制作担当者と事務所で使用する画像の打ち合わせたあと、わたしが自宅で自分のデジカメ撮影したきりえ作品画像を、パソコンで歪みや色彩を修正して、編集事務所にメール発信して、印刷工房で印刷掲載されている。電子信号のメール送信で、色彩はほぼ忠実に再現され、印刷されていることには、時代の発展・進化と驚くばかりです。

この冊誌も、市内各区役所の売店で販売され、市内各区の図書館に蔵書されている。

05 書店ショーウインドーデスプレイ用きりえ 

http://members2.jcom.home.ne.jp/higefuji/nantendo.htm

高島平駅前の書店ショーウインドー・デスプレーのための絵画依頼が工務店からあった。書店向きに日本昔話のモチーフを20点ほど下描きして顧客に検討してもらい、「桃太郎」と「竹取翁」の2点を切り絵に制作し、工務店に提出した。印刷工房で幅1メートルの糊付用粘着剤を塗布した、巻物状プラスチックに拡大印刷して、ガラス窓に貼り付けた。

20点の下描は、厚紙トレーシングペーパーに黒色マジックペンで清書し書店に納品し、子供達の塗り絵用の版下に利用してもらうことにした。

06 寺院改装法要 絵葉書用きりえ

http://www.geocities.jp/higefuji2767/mitsuzouji.htm

寺院の山門と本堂の改装新築落成法要に使用する、きりえ制作依頼が工務店からあった。デジカメとスケッチブックをもって現場に行き、工事は仕上げの段階で近寄ることが出来なかったが、必要な画像・資料を採取して帰宅し、構図構想をラフ・デッサンして工務店にファックスして検討依頼した。絵葉書版下用に白黒モノトーンのきりえを制作した。

きりえ原画2点を工務店に納め、工務店では印刷工房に絵葉書を発注して、法要参加者に記念品として配布し、額装きりえ原画は寺院に奉納され、寺院客殿に飾られた。

07 創作オペラ「山姥」ナレーション・スライド投影用きりえ

http://www.geocities.jp/higefuji2767/opera-yamanba.htm

創作オペラの幕間ナレーションの時に、情景説明するスライド投映用画像の制作依頼があった。台本を読み場面ごとのイメージをラフ・デッサンして原作・演出・出演の人たちと打ち合わせて、使用する映像の構図と色彩を決めてきりえを制作し原画を、我が家の庭先で晴天の日陰に置き35mmスライド用フイルムを手持ちで撮影した。

08 中原区七福神初詣 絵葉書用きりえ

http://higefuji.web.fc2.com/2009kawasaki7fukujin.htm

初詣に川崎市内の七福神参りをして、デジカメ撮影した画像を参考にして、黒紙を切り抜き白紙に貼り付け、きりえを制作した。3月、乃木坂の新国立美術館での、アンデパンダン美術展に展示したあと、お寺さんに奉納した。絵葉書に印刷されて来年の初詣には、それぞれの寺院に置かれ購入できることを楽しみにしています。

09 倫理と宗教 

倫理と宗教と哲学は、集団生活をする人間社会において、共通する概念が根底にあり、倫理研究所の純粋倫理・万人幸福の栞・倫理17ケ条にも、キリスト教や古代中国の論理の引用がみられます。

日本では聖徳太子が仏教経典を講義して以来、日本の文化全般に、意識するかしないかに関わらず仏教の影響があるので、私はきりえ創作の必要性から、仏教を知識として学んでいます。

わたしが美術学校に四十の手習いで学んだとき、東洋美術史で「インド美術における無仏像時代の仏陀の表現について」のレポート課題がありました。

21世紀の現代、日本の寺院では、仏像に手をあわせて拝むのが常識ですが、インドのブッダは、自分を拠り所とせよ。ブッダの教えを拠り所にせよ。として、他人に頼らず、修業して、悟りを開くことが基本であり、拝んで頼りにする「仏陀の像」を作ることを禁じたのです。

造る技術が無かったから仏像が無いのではなく、拝む対象の仏像の制作を禁止する、強い教えがあったから、仏像は存在しなかったのですが、時代が経過するに従い、修業できる優等生だけが悟りをえて、彼岸に渡りことを、批判する人たちが増えてきました。

自分ひとりだけ船に乗って彼岸に渡ることを、小乗仏教と批判し、船頭がいて大きな船に乗り合いして、楽に彼岸に渡ることを望む人たちが増えた。大乗仏教と言うことです。

マケドニアのアレキサンダー大王が軍勢を率いてインドに遠征してきたことで、ギリシァの神々を人間の形に造形することを学んだガンダーラ地方の人たちから、拝む対象の仏像が作られるようになったと言われます。物事は、時代経過などの、多方面から思考する必要があるようです。

「法句経和讃」漢詩漢文を自分なりに勉強して和訳・和讃に翻訳しました。

http://www.geocities.jp/higefuji2767/hokkuwasan-01.htm

10 橘樹神社 橘樹郡のこと

http://members2.jcom.home.ne.jp/higefuji/kawasaki-47.htm#高津区橘樹神社

川崎市の古い地名は、平安時代の租税台帳に「橘樹郡」とあり、万葉集にもあります。

< 家には葦火焚けども住み好けを 筑紫に至りて恋しけもはも/ 20-4419

< 橘樹のこばのお下げ髪おもふなら 心うつくし いざ吾はいかな/ 14-3496

橘樹神社の由来、

・橘樹神社は古くは立花杜とあり、祭神は日本武尊ヤマトタケル、弟橘媛オトタチバナヒメの二神。また、橘樹郡の名起こりもここから来ていると伝えられています。

弟橘媛には、このような言い伝えがあります。
日本武尊が三浦半島先端から房総半島に向け東京湾を船で渡るとき、海が荒れたのを海神の祟りとして、同行の弟橘媛后が人身御供として入水したことで海は収まり、日本武尊は房総に渡れたと、古事記は記しています。

房総は后の着物の袖が流れ着いた場所が「袖ヶ浦」。吾が妻はもういないと嘆き立ち去ることが出来なかった場所が「きみさらず-木更津」。川崎は中原区の子母口海岸に、后の装身具が流れ着いたので「橘樹神社」を建立し、橘樹郡となった。と伝えられています。

1012日まで川崎市市民ミュージアムで「川崎・縄文・一万年展」が行われ、川崎市内で発掘された縄文土器の展示と、遺跡場所と一万年前の海岸線が市内地図にイラスト記載され、子母口貝塚が海岸であったことが知られます。

「橘樹神社」付近は4世紀ごろの日本武尊伝承時代にも、海が入り込んでいたのか、装身具に持ち主の名前が記載されていたのか、疑問が多いですが川崎市内の古い伝承話です。

11 川崎美術協会展「トルソ・花百図」展示

2009/9/22()-27()アートガーデンかわさき会場・川崎美術協会展「トルソ・花百図」葉書サイズ100枚を1010段に組み合わせて展示します。

デジカメで撮影した花と、黒紙切抜きした葉書サイズきりえを、スキャナーでパソコンに取り込み、合成して葉書用紙にプリント印刷して作品にしています。

この「トルソ・花百図」には、紙を使用したきりえ原画は展示されず、パソコンを操作して制作した合成画像のプリンター印刷物であり、どこまでがきりえであり、どこまでが写真であるのか、制作したわたしにもわかりません。

掲載したきりえ作品の知的所有権(著作権)は藤田正俊にあります。

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